3/11(月)
あの日から8年。あっという間に私は感じる。感じ方はひとそれぞれだろう。
岩手県の三陸海岸沿い、普代村出身の東北楽天イーグルス銀次選手のニュース記事が目にとまった。
8年前、普代村の住宅への浸水被害はゼロだった。1000人以上の死者、行方不明者を出した1896年(明29)の明治三陸大津波を受けて、1984年(昭59)に高さ約15・5メートル、長さ約200メートルの普代水門を建設していた。
「子どもの頃、友達みんなで話していたんです。『こんなに高い津波、来るわけないじゃん』って。でも、2011年にそれが来た。昔の人はすごいなって思った。やっぱり、怖さを伝えていかなきゃいけない」
海沿いに住んでる身として昔この土地に津波がきたのかどうか調べねばと思った。見たくない方もいるだろうしたたむ。
NHKのコラム。
江戸時代の「安政南海地震」、「宝永地震」、そして中世の「正平地震」、古代の「五幾七道地震」の4度の歴史地震によって、大阪は大きな津波被害を受けてきました。「大阪は南海地震の津波で危ない場所である」としっかりと心得たいものです。
南海地震が起きた場合、大阪には2時間後に津波がくるらしい。私のような海のそばで働く者にも逃げる時間はあるということ。
津波に関する論説。
http://www.n-bouka.or.jp/local/pdf/2018_04_04.pdf
以下抜粋。
地震があったらいち早く船を岸につけて逃げるべしということ。
1707年に起きた、大津波を引き起こした宝永地震に関する記述。
http://www.bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/kyoukunnokeishou/rep/1707_houeijishin/pdf/06_chap02.pdf
以下抜粋。
3.6メートルもの津波が来るかもと思っておこう。
以上、自分メモ。